ノスタルジックな気分に浸る

エッセイ

丁度晩ご飯を作っている時に旦那が帰ってくることがある。

玄関の扉を開けた瞬間に
めっちゃ美味しそうな匂いする!
と毎回言ってくれるのがたまらなくうれしい。

それと同時に懐かしいような切ないような気分にさせられる。

中学に入ってすぐの頃。
あまり友達付き合いが好きでないわたしは、放課後友達と遊ぶことなく直帰していた。
(それは今でも変わらないのだけれど)

今日は肉じゃがかな、カレーかな、おでんかな。そんなことを思い家路を急ぐ。
家の前に着くとふわりと鼻孔をくすぐる、晩ご飯のいい香り。
「おかーさーん!今日のご飯なにー?」と言いながら家の中へと入って行く。
どれだけ学校で嫌なことがあっても、家に帰るだけで気持ちが落ち着いた。

そんな10年も20年も前の話が旦那のセリフひとつで、まるで昨日今日の話かのように鮮明に思い出されるのだ。

反抗期はひどかった。
家に帰らない日が続いたし、補導なんてザラだし。
父親と胸倉掴み合った日もあった。
母親と取っ組み合いをした日もあった。

なのに実家の思い出って、あの晩ご飯の美味しそうな匂いと家族団欒の食事風景が思い浮かぶ。

もう「今日のご飯なにー?」と言いながらわたしが実家に帰ることはないんだろうし、我が家から発せられるあのいい匂いを嗅ぐことはないんだろうし、わたしが帰る時にご飯を作って待ってくれている人はいないんだと思うと、悲しい。
晩ご飯何だろうなあとわくわくしながら帰るなんてことがないんだと思うと、悲しい。

まあ母が引っ越ししたからわたしの実家という実家はなくなったに等しいんだけれど。

旦那は「お義母さんが住んでるところが実家やろ。あの家にこだわらんでも」と言う。
それはわかってる。理解出来る。
だけど母が今住んでいる家にわたしの思い出はないし、これからもわたしと母の思い出は作れない。
わたしの実家はあの家だけなのだ。
懐かしくて優しくて切ない思い出があるのはあの家だけなのだ。
祖母の家の時もそうだったけれど、わたしはやっぱり家というものに大きなこだわりがあるらしい。

話が脱線してしまった。

さて。
実家を出たわたしは待たれる側から待つ側に変わったようだ。
今はご飯を作って旦那を待つし、近い将来は子どもも待つんだろう。
旦那が忙しい我が家において、いかに居心地のいい家を作れるのかはわたしの手腕にかかっている。
わたしは母のようになれるのだろうか。

結婚って重いなあ。
家族を作るって大変なんだなあ。

そんな責任を出来るだけ旦那と分け合って、頑張っていこうと思う。

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